院長コラム › 日本の近代のいびつさと格闘した漱石

日本人にとって近代とは何かを考え続けた知識人の一人に夏目漱石がいる。

『吾輩は猫である』で小説家として出発した。ライトバースな文体を駆使している。ライトバースとは英詩の分野で、人生や思想を大真面目に重く深刻に語るのではなく、能天気に軽く明るくユーモアやウイットを交えてもいいだろうとする立場をとる。『吾輩は猫である』は話芸としての落語をベースに創作している。

1911年(明治44年)8月、和歌山県での講演会『現代日本の開化』でこう語っている。

文明を「内発的文明」と「外発的文明」に区分し、後者に属する国民は外来文明を輸入し西洋に追いつくことに忙しく、何ものも後に残すことはない。

「こうして開化の影響を受ける国民はどこか空虚の感がなければありません。どこか不満と不安の念がなければなりません」

翌年、明治天皇がお亡くなり、年号が大正に改まった。左腕に黒の腕章をつけた漱石の有名な写真はその時弔意をあらわして撮影されたものだ。

漱石の憂鬱そうな表情はまさしく開化の影響を受けた日本人の顔だろう。

漱石は、胃潰瘍のため49歳10ヶ月でこの世を去った。もし長生きしたら、ライトバースからヘビーバースへ変化していったが、再び、ライトバースに回帰したはずと私は妄想している。処女作に戻るのが創作の通例だから。

また、ヨーロッパ近代思想を日本が受容する時、日本国家にとって都合のいい部分だけを強調し、不都合な部分は省略してきたと水田洋氏は指摘している。ルソー、ホッブス、アダムスミスしかり。

漱石の悪戦苦闘ぶりはその後の日本人の重い課題でもある。その重い課題をライトバースで挑戦した漱石の心意気。明治の男はすごい。