院長コラム › 漱石とニーチェ

『吾輩は猫である』は明治37年(1904年)11月頃から明治39年(1906年)7月頃にかけて執筆されたことが分かっている。

明治38年(1905年)1月号の雑誌『ホトトギス』で連載が始まり、翌年の8月号まで続いた。

執筆期間中に漱石は、ニーチェの『ツァラトウストラ』の英訳本を精読していたことが明らかになっている。作品に、ニーチェの影響を指摘する文学者もいる。

杉田弘子(松山出身)、ダミァン・フラナガン(イギリス出身)らだ。

漱石を理解しょうとすれば、ニーチェを読む必要があるようだ。漱石文学は底の見えない底なし沼だ。

吉本隆明の『夏目漱石を読む』で『吾輩は猫である』についてこう述べている。「この時代の漱石はたいへん巨大な混沌とした渦巻きなんだ」