1986年5月。歯科医院を開業しました。私は34歳でした。
3階建てのビルにしたのは、当時65歳の瀬戸町三机(現在は伊方町)で
内科を開業していた父が、自由診療の漢方をしたいので診療室を
併設してほしいと望んだからです。しかし、2階の診療室を父は一度も使わないまま
2002年、81歳で他界しました。
3階のホールは伊予歯科医師会の倉庫、定例、臨時の会議や
23回続いた『口から食べたい』イベントの打ち合わせ、資料の置き場に使用していました。
会はイベント中止を決定し、昨年、会の備品を撤去しました。
現在、2階3階は何も使用しておりません。
2025年、私は73歳になりました。歯科医の息子がおりますが、
昨年12月、大阪の高槻で歯科医院を開業しました。伊予市は継ぎません。
今年の歯科医師会の新年会で私は乾杯の発声を指名されました。
「うれしいような悲しいような、笑い泣きだよ人生はであります。乾杯」
さて、年齢とともに体力も能力も衰えてゆくのを自覚しております。
1階は歯科診療所で出来るだけ長く続けること。
手助けする歯科医が現れないでしょうかね。
2階3階の空き部屋の活用を図ること。
誰か起業する方いませんかね。
ご連絡をお待ちしております。