愛媛県民なら子規や虚子は誰でも知っている俳人だろう。しかし、赤黄男はさほど知られていない。私はたまたま佐田岬半島に生まれ、古里の隣町に生まれた優れた俳人として赤黄男の名を認知していた。赤黄男の古里の句に、
『羽がふる 春の半島 羽がふる』
がある。
佐田岬半島には山桜が多く、風も強い。山桜の花弁が強風に煽られ空に舞う高揚感を詠んだものと私は思っていた。「羽」に関する哲学的意味付けで解説している評論を読んだ時、ナンジャラホイサッサと笑ってしまった。地元の強みだろう。
赤黄男と陽水の共通点は、地方の開業医の息子に生まれたが、医師にならなかったことだ。
子どもの頃は内向的で空想癖があり「坊ちゃん」「極楽とんぼ」と言われるイノセントでナイーブな少年も、青年期になると職業を選択し社会人として自立せねばならない。
その時、親の跡を継がず医師以外の職業を選択した彼らはその後どのような人生を歩むのか興味があった。それは、私の青春時代の彷徨いに通じる私自身の人生課題でもあつた。
赤黄男は俳句で、陽水は音楽で、日本社会に新たな感性と知性を提示しえた。赤い糸はつながっている。
次の世代、次の次の世代は、彼らの業績を基盤としてさらなる高みをめざし挑戦するのが、男子の本懐だろう。
私もかくありたい。