院長コラム › 富沢赤黄男と井上陽水をつなぐ赤い糸(1)

大学生の頃、井上陽水のアルバム『氷の世界』を聴いていたら、富沢赤黄男の俳句
『蝶堕ちて 大音響の 結氷期』の世界観がなんとなく理解できた気がした。ああ、分かったと当時の私は思った。 
青春時代の心理状態はなんとも傲慢でかつ移ろいやすいものなのだろう。

赤黄男は俳句を近代詩にしょうとした俳人だ。創作の前提にシュールリアリズムも抽象もありとする作家だった。
新興俳句と称されていた。

シュールリアリズムは1920年代のヨーロッパの芸術運動理論だが、1940年代の日本社会では異端視された少数派だった。言論弾圧の実態は、田島和生著『新興俳人の群像
「京大俳句」の光と影』に詳しく書かれてある。ご参照ください。

ヨーロッパですでに20年以上も経過しているにもかかわらず、日本社会では「新興」と言われているのはさむい話だ。

1970年代半ばになって、陽水がポップスでその世界観を普遍化させた。当時の若者は共感し大ヒットとなった。

陽水のイメージ喚起力はすごい。だから当時、鈍感で凡庸な私でも分かることができたのだろう。(つづく)