院長コラム › 漱石雑感(1)

1900年(明治33年)10月28日、夏目漱石はロンドンに到着した。孤独な留学生活が始まる。
1901年(明治34年)7月20日、5度目の下宿先に移る。クラパム・コモン公園の北側にあるリール姉妹が経営する下宿だ。
翌年の秋頃から漱石に「神経衰弱」が生じる。心配した下宿の女主人が近所の公園への散歩と自転車の練習を奨める。
「忘年忘日、人間万事漱石の自転車で自分が落ちるかと思うと人を落とすこともある。」と練習の様子を『自転車日記』に書き遺している。
漱石の自転車練習を手助けしたのが同じ下宿人で大蔵省から留学していた犬塚武夫だった。彼は帰国後大蔵省から第一銀行へ移っていくが、漱石との親交はずっと続いていた。
後に漱石は作家となり、本が売れて収入を得るようになる。「小金が貯まるとと犬塚さんに届けて株券をかってもらっていた」と漱石の妻鏡子夫人が語っている。犬塚氏は漱石の投資顧問をしていた。

1914年(大正3年)9月。朝日新聞に連載していた『こころ』を新刊本として是非とも出版したいと岩波茂雄が漱石に懇願した。彼は前年8月5日に古書店の岩波書店を開店したばかりだった。加えて、お金がないので、出版費用を漱石に出してもらえないかと重ねて懇願した。

漱石は引き受けている。株投資で資金があり、当時のベンチャー企業の応援が可能だったのだろう。アイデアがある人はお金がないのは、今も昔も変わらない。漱石は、近代文学は知的ベンチャーだと解っていたから岩波青年を応援したのだろう。蛇足ながら、漱石の自転車は練習のかいありで文章ではひどいが実際はうまかった。