お知らせ › 健気な少女におじさんの涙

フィギュアスケートの浅田真央選手に私は少女の健気さを感じていた。体つきが華奢だし、神経も繊細そうだし、ただただ健気に懸命に氷上を舞う姿に何度私は感動して来たことか。日本社会から健気さという美徳を失くしてはならない。

健気さは日本がまだアジア型社会だった頃の名残だ。高度経済成長は欧米型社会への転換を促進した。それは全国の地方都市のミニ東京化が示している。ラフォーレ原宿松山の開店が1983年。男女雇用機会均等法の制定が1985年である。バブル以降もこの潮流は変わらない。

一部の男社会むけに歌って踊る媚芸集団に、正直私はウンザリしていた。

そんな時、浅田選手の健気さにすがすがしさを感じていた。

オリンピックの金メダルがなんだ。韓国のキム・ヨナと争そって何の意味がある。
浅田は浅田でいいのだ。金メダルにしか価値基準がない社会は愚かしいと私は思っている。