京都に海外貿易商人たちがいた。
茶屋家、後藤家、角谷家は京の三長者といわれていた。1404年、足利義満によって明との勘合貿易が始まっているが、貿易商人たちの起源は不明だ。
豊臣秀吉から御朱印船の免許を受け、安南(現在のベトナム)貿易を行っていた。主な輸出品は日本刀、武具だった。
1639年、徳川家光によって鎖国令が出され自由な海外貿易が禁じられた。
祇園祭の長鉾は不要になった御朱印船の帆柱を使ったという説がある。
海上を走れなくなった船を地上の京の都で走らせる。権力者に対する京の町衆の反骨心と意地を私は感じる。海外貿易商人たちは、京都だけでなく、大阪の末吉家、長崎の末次家、荒木家など数多く存在していた。
才能ある秀でた個人は日本でも誕生していたのだ。しかし、ヨーロッパのように近代社会につながらなかった。
貿易商人がマーチャントバンクへ進化したり、国際的な知識センターとして『大学』が形成されなかった。
種子はあり、発芽し、成木になっても森にならず荒野に立ち枯れになったようだ。
日本の近代化は、ペリー来航まで待たねばならなかった。
ただ、その準備はすでに江戸中期には完了していた。だから維新後わずか38年間でバルチック艦隊を撃滅できたのだ。