お知らせ › 赤瀬達三著『駅をデザインする』に同感

日常生活で何気なく体験する見慣れた風景に、ひどく違和感を感じる時が私にはある。

こうあるべきじゃないかと思っても現実がそうでない時、苛立ち憤慨したところで気分を悪くするばかりで、はいはい了解と感覚のスイッチの方を切ってしまうのだ。その時々の自分の感覚を客観的に検証しないままに通り過ぎている。なるべく目立たず、波風を立てず、平凡に生きてゆこうと思っている平均的日本人なのかもしれない。

時々、違和感の根拠を客観的に指摘する著書に出会うと、ああ、やつぱりそうだったのかと、その違和感の正しさと自分の感覚のまともさに改めて再認識させられる。

赤瀬達三著『駅をデザインする』ちくま新書は、そのような一冊だった。
駅を利用する時の私の違和感は、その駅が建設され今日に至るまでの日本社会の政治、経済、文化状況との特殊性相関の集積だろう。
2020年の東京オリンピックまでにパブリック施設としての駅は変わらざるをえない。特殊性から普遍性へ。日本社会から国際社会へ。経営者中心から利用者中心へ。