院長コラム › 同世代の天才数学者 森重文

森重文(しげふみ)京大教授。1951年生まれ。数学の天才だ。

「ハーツホーン予想の解決および3次元代数多様体の極小モデル理論への貢献」
(な~んのこっちゃか全く解らない)で、1990年、数学のフィールズ賞を受賞した。

受賞時、才能を開花させたのは東大志望を京大へ変えたのが幸運だったと評じる人がいた。
京大変更の理由は、1969年の東大入試中止のせいだ。

庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の時代だ。秀才ではない私までも「薫くん」に憧れたものだ。1951年生まれで同世代の私はその時代をよく覚えている。

日本全国の本物の秀才たちは東大以外の大学へ行く羽目になった。割を食ったのが、東大以外を狙っていた二番手、
三番手の秀才たちだった。番狂わせの話はその後よく聞かされた。

秀才ではない私は、二浪して大学紛争後に新設された私立歯科大学にようやく入学した。二度と紛争を起こさない
ことを大学当局は課せられ、学生はそれを忠実に守らされた。厳格な学生管理の中で学年が進むにつれ、級友の何人かは退学し、何人かは自殺した。痛ましいことだが、私をふくめ誰も抗議に立ち上がらなかった。

級友のイノセントでナイーブな面影だけが私の記憶に残っている。

私はなんとか卒業した。「馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説」は、庄司薫から学んだものだ。

歯科医師国試を受けた年、何のめぐりあわせか、国試漏洩事件がおきた。何だかんだと運命の神様は私の邪魔ばかりする。再度の国試があるのではと身構えていた。しかし、何名かの厚生官僚と大学教授が逮捕され、事件は幕引きとなった。私は無事、国試に合格した。

その後、10年ほどは試験に落ちる夢ばかり見ていた。ニセ歯医者の意識が頭の片隅にある。

私の天才好きは、劣等感の裏返しなのかもしれない。
情けなくて、最低だった
わが青春に乾杯!