月刊保団連1月号に道後温泉のエッセイを依頼された。
『ボッチャン 漱石とびこむ 道後の湯』を書いた。字数制約があり、漱石門下の寺田寅彦を除いた。
これ以上詰め込むと広げた風呂敷が包みきれないと思ったからだ。それが少し心残りだった。
その後幾冊かのきままな読書の中で、磯田道史著『歴史の愉しみ方』、近藤滋著『波紋と螺旋とフィボナッチ』に偶然だろうが寺田寅彦が登場していた。
とりわけ近藤滋氏は『吾輩はキリンである 模様はひびわれている』の章で寺田教室と動物学者とのキリン論争を取り上げていた。
ギャグを薬味に使う手口は私と同じだ。
ならば私も目指せ寺田寅彦ということか。理数科学と人文科学の融合は近代人には必須要件のようだ。
3.11以降、特にそう思う。
寅彦の座右の銘を引用する。「好きなもの いちご 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物」
典彦は寅彦になれるかな?