院長コラム › イギリスは面白い (その2)

1979年、イギリス首相にマーガレットサッチャーが就任した。「鉄の女」はすごかった。
俄然、イギリスが面白くなった。

数年後、新婚旅行で私はロンドンを訪れた。住宅街に「売り家」の表示が目立ち深刻な不況であることを知った。
街でパンクの若者の集団を見かけた。私は猛獣と遭遇したような脅えを感じた。日本のパンクはファッションだと感じた。
ロンドン観光は中世と現代が混合していて楽しかった。

サッチャー政権でシティー金融センター化の計画が立てられた。シティー地域も、金融機関も、旧植民地だった
英連邦国家同士のネットワークも存在しており、それらを統合すればニューヨークウォール街に匹敵するだろう
と、経済素人の私でもすぐ解った。

70年代初頭から、旧港湾地区のドックランドの再開発計画があったようだ。ロンドンオリンピックの都市再開発で
シティー金融センターを補完する業務施設がドックランドに建ち並び始めている。というのも、これまでのシティー
は、王立取引所がセレクトショプに、イングランド銀行が博物館にりニューアルされ、観光客のための体験空間に変貌しているのだ。ユニバーサルスタジオのシティー世界体験ツアーようなものだ。ウェリントンの騎馬像もハリボテではなく本物だが、私には所在無げに見える。

日露戦争でバルチック艦隊と戦った日本海軍の軍艦はイギリスの工業都市ニューカースルのアームストロング社で
当時最新鋭の戦艦、巡洋艦として建造された。
1902年、日英同盟締結。その年、イギリスは海底ケーブル網を完成させている。つまり、日露戦争が始まると、
バルチック艦隊の進路は時々刻々と捕捉され香港まではイギリスから情報が届いていたと推測される。
その後の進路予想、対馬沖を通り日本海をウラジオストックへ向かうのか。太平洋を迂回するのかの判断は、
日本のインテリジェンス能力が問われていた。

東京オリンピックでもロンドンに見習い東京に金融センターを立ち上げたいようだ。私には、木に竹を接いで花を咲かせたいように思えてならない。ぞ~かなぁ、造花で誤魔化しますか。日本のインテリジェンス能力や如何に!?